本委員会は,「規格の社会構成主義」を標榜して,平成7年度より3ヶ年度にわたり,電子化文書に関わる広い意味での規格につき,その実証を試みるべく様々な電子化文書規格に当事者として関わってこられた方々からのヒアリングを精力的に行ってきた。今年度は,過去3ヶ年度の総括として,過去のヒアリング記録の読み直しと,問題点の抽出分析を中心に委員会活動を行った。
結論は以下の2点に集約できる。
この2点は,直接ではないが,ゆるやかな相関を持つ。以下,委員会での議論を踏まえ,ある情報規格が社会に受容され活用されるための,外部的条件を具体的に列挙する。
成功した情報規格に関わった方々に(時に失敗した規格の場合も含めて)共通して見られたのは,「その規格の成功を確信していた」ということである。特に企業の中にあって,ある規格のde facto化を目指しておられる方々には,その規格の普及発展を信じてやまない,ある種の信念のようなものが感じられた。すなわち,「自分がいいと思わない規格は成功しない」とでも要約できようか。
一方,規格そのものとしては,整合性がとれていても,その具体的な使用方法,ユーザーにとっての明らかなメリットを,確信を持って宣伝できない場合,その規格の成功は困難である。優れた規格なので,すべてのシステム,ユーザーはこの規格を採用すべきである,というある種プロダクトアウト的な関わりでは,成功はおぼつかない。
この点と関わって,特に公的規格の場合,企業を背景にその規格策定に関わっている関係者への,企業としての評価も重要である。情報産業の世界では,ある規格の成否が,その規格を採用した製品を製造販売する企業の成否に直結する。時にそれは,一企業の成否にとどまらず,ある国や地域を共通の基盤とする企業群の国際的な競争力にも影響を及ぼす。規格をまさにde jureなものとしてとらえ,すでに存在する成功した規格の後追いをしているだけでは,企業の発展もおぼつかないのである。このような状況の中で,規格策定に関わっている人間は,ある意味で出身企業の命運に関わる重要な使命を帯びていると言ってもよいであろう。民間企業が公的な標準化活動に人材を提供することは,当然,社会的貢献の意味合いを強く持つ。にもかかわらず,上に述べたように,標準化活動に関わった人材が,当事者意識を持って規格策定に当たり,その結果としてその規格が社会的に認知されたとき,そのメリットは企業にとっても計り知れない。企業がこのような観点を持って,標準化活動を支えることが,規格策定に関わる担当者の意識を高めることにもつながり,ひいては企業の利益にもなることを,強調しておきたい。
エンドユーザーの視点について述べる前に,情報規格及び電子化文書に関わる文化的な問題について,若干言及する。情報規格,特に電子化文書に関わる情報規格も,文化の差異から独立ではない。例えば,品質管理に関わるISO9000シリーズにおいて定められている文書管理の概念は,欧米で培われてきたキャビネットやマニラフォルダーによる文書の整理保存の習慣を色濃く反映している。一方,一般的な日本の企業文化では,記録を文書として残すことには否定的な見方が多くある。実際,汚職事件や談合事件などで,文書破棄=証拠隠滅といったことが頻繁に行われることからも,記録としての文書に対する文化的背景が欧米と異なることが窺われよう。文書が電子化されたからといって,この状況に大きな変化はない。電子化文書管理システムを導入する際には,紙による文書の管理と電子的な文書の管理の相違よりも,欧米的な文書に対する考え方と日本的な文書に対する考え方の相違の方が,より大きな障壁となる場合があり得る。
また,文字コードなどにも,文化的差異の影響は色濃く反映している。言語学の近来の定説では,音声言語とそれを表現する文字との関係は,その言語の背景にある文化によるさまざまな相違があるが,文字コードに対する考え方にも,その相違は影響を及ぼしている。「韓国は音で文字コードを考え,中国は意味で文字コードを考え,日本は形で文字コードを考えている」という言葉は,この文化的な差異を端的に物語っている。
これら,文化的差異をどのように考えるかだが,結論を一言で述べると,以下のようになろう。文化的差異は,根本的なところでは相互理解不可能な要素を持つ。この限界をわきまえた上で,交換できる情報の範囲を明確に設定して,規格の策定と運用に当たるべきである。
最後に,「ユーザーの視点」について言及する。
「ユーザーの視点」という見方は,本委員会に学識経験者として参加してくださっている成蹊大学の見城武秀氏の指摘により導入された。まず,記して見城氏に感謝する。ある情報規格およびその規格に基づくシステムや製品が社会に受容されるかどうかは,最終的には市場の判断に委ねられるわけだが,委員会発足当初は,実際にはエンドユーザーがどのような形で関わっていくかという問題設定は,視野に入っていなかった。見城氏の指摘により,2ヶ年度目からはこの視点を強く意識しながら議論を進めてきたが,残念ながら一定の方向性を見いだすには至っていない。しかし,昨今の文字コード規格を巡る文芸家協会を中心とする議論や,JAVAを巡るマイクロソフト=アップル連合とサン・マイクロシステムズを中心とする反マイクロソフト連合との確執などを見ていると,情報規格そのものがエンドユーザーの議論や話題の対象となり,その動向が直接市場に反映される状況が顕著に起こってきている。今後,この傾向はますます強まると思われる。
しかし,エンドユーザーの視点を重視するということは,短絡的にエンドユーザーの声を直接規格や製品に反映せよ,ということのみを意味するわけではない。優れた発明がそうであると同様優れた情報規格も,ユーザーが事後的にその存在を承認し,市場が形成されていくものである。エンドユーザーの存在を常に意識しながら,確信を持って規格の策定,普及に臨むべきである,というところが,本委員会の現時点での結論である。
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