第6章 MIDI

6.1 はじめに

 この章では,ローランド(株)の山端利朗氏,近藤公孝氏のヒアリングに基づいて,MIDIについて紹介する。MIDIは当初,電子楽器を相互接続することを目的として作られた規格だが,最近ではMIDIファイルという形で電子化文書の構成要素としても重要になっている。MIDIは,規格作成時からバージョンが変わることなく,現在でも幅広い利用分野で使われている。これはコンピュータ関連の規格としては驚異的ともいえる。MIDIは日本のメーカーがその成立に大きな役割を果たしたという点でも興味深い規格である。以下では,規格を作る人,使う人などの役割からの視点を取り入れながら,MIDIの成立から始まって,規格の普及の経緯と現在の様々な利用分野について述べる。

6.2 MIDI規格の成立過程

6.2.1 MIDI規格作成時の電子楽器の状況

 1970年代のシンセサイザはシステムシンセサイザといわれ,壁一面に並べるほどの大きさがあり,オシレータ,フィルタ,エンベローパなどで構成されていた。鍵盤から出てくる電圧をオシレータに接続し,そのピッチで発音するという仕組みだった。シーケンサには電圧を調整するつまみが16個x3段といったように多数付いており,アナログで音程をコントロールしていた。鍵盤は単音しか出すことができなかったため,多重録音によって音楽を作り出していた。

 この状況は,マイクロコンピュータの出現によって一変した。ローランドはIntelの8080を使って世界初のデジタルシーケンサを作った。これまではアナログのつまみで音程などを設定しなければならなかったが,テンキーや鍵盤で入力できるようになり,設定をプログラムすることも可能になった。従来8音から16音程度しかなかったものが,数千音をプログラムできるようになり,当時の音楽製作者にとって非常に画期的なものとなった。

 マイクロコンピュータによる制御に移った結果,複数の機種の間をアナログの電圧で接続する必要がなくなった。例えば音源と鍵盤をデジタルのバスで接続することが可能になった。ローランドはオリジナルのバスDCB(digital control bus)を持つ製品を出したが,ローランドの他にも同時期にアメリカのシーケンシャルサーキットやオーバーハイム,日本のヤマハなどが独自のデジタルバスを持つ製品を出し始めた。

 アナログの時は,1volt=1オクターブというデファクトスタンダードが存在し,違うメーカの機種でも組み合わせて使うことができた。これは,最初に電圧コントロール方式のシンセサイザを作ったメーカの規格に他社が合わせたためである。 

 しかしデジタル方式では,当時デファクトスタンダードとなるメーカが存在していなかった。アナログ方式では異機種間接続が可能だったため,デジタルに変わっても異機種間接続が必要だということは,各社のエンジニアが共通の認識として持っていた。そのため,シンセサイザの開発者から規格へのニーズが生まれた。

6.2.2 MIDIの成立

 前節で述べたような規格に対するニーズを背景として,MIDIは,アメリカの楽器業界のショウ(NAMM show)を発端にして生まれた。1981年にNAMMショウに集まった数社の立ち話から始まり,翌年のNAMMショウで具体的なミーティングが始まった。メンバーはアメリカからシーケンシャルサーキットとオーバーハイム,日本からヤマハ,河合楽器,コルグ,ローランドなどであった。このミーティングでは,シーケンシャルサーキットが簡単なドラフトを出し,ローランドもDCBに関するノウハウを紹介した。ヤマハ以外はほとんど小さな会社だったため,社長レベルがエンジニアリングの知識も持っており,トップダウンの形で規格の作成が進んだ。

 その後は,アメリカの2社と日本のヤマハ,ローランドが中心となって規格の調整を進めた。規格の作成過程では,鍵盤に対する音色の定義の方法や,鍵盤情報の伝達の方式などについて議論がさかんに行われた。このなかでローランドは,他社がまだ認識していなかった同期信号の概念を規格に提案している。

 当時規格に関わったメンバーは,非常に紳士的であり,業界全体のためになるような規格を作ろうという意識があったという。この点では,規格を作る人に恵まれていたということである。また,各社とも独自路線を進んではうまく行かないという共通認識を持っていたことも規格作成に影響を与えている。

 1983年のNAMショウでMIDIの最終的なドラフトが完成し,今のMIDIとほとんど同じ規格ができあがった。1983年3月にローランドとシーケンシャルサーキットからMIDI対応の製品が出た。同年5月にはヤマハからも製品が出た。最初の製品では,受信バッファがすぐ溢れてしまうなど,いろいろと不手際があって,うまく繋がらないことがあった。元々のMIDIの規格は,プロトコルを表のように書いた簡単なものだったが,日本でその使い方や順番や注意事項などを文書にしたMIDI1.0詳解を作成した。MIDI詳解は,ローランドとヤマハが中心となって作り,英訳されたものがMIDI規格の中に入っている。ここまでは,組織的には,ボランティアで規格の作成が行われていた。

 その後,日本では,JMSC(Japan MIDI Standard Committee)という組織が作られ,少し遅れて,アメリカでもMMA(MIDI Manufacturers Association)がスタートした。どちらも業界から自主的に参加し,MIDIに関してプロトコルの整備や改訂などを行っている。会費は集めているが,人材の派遣は各社のボランティアで運営されている。

 JMSCは当初7社で始まったが,その後MIDIに関する出版物やデータを出す会社が加わった。さらに,電子楽器のいくつかの団体と一緒になって,AMEIとなった。国際的に見ると,日本以外の国はヨーロッパ,台湾,韓国なども言語の問題でMMAに参加している。MIDIのスタート時点では,JMSCとMMAはほぼ対等の力関係だった。しかし1980年代後半には,音源のデジタル化についていけなくなったアメリカのメーカーが消え,世界中で電子楽器は日本製が大部分を占めるようになった。結果的にその時期は日本のメーカの主導を握った。その後,アメリカではシーケンスソフトなどを作るソフトウェアメーカーがMMAに加入するようになり,MMAの発言力も大きくなってきているという。

 MIDIの規格を変える時や新しい規格を加えるときには,AMEIとMMAの両者の合意が必要になっている。例えば,日本のメーカーはAMEIに提案して,AMEIで得られたものをMMAに提案し,MMAで合意が得られた時点で規格として成立する。しかし,最近では,MicrosoftやIBM,Intel,AppleなどがMMAに加わり,MIDI規格を作った当時の小さな楽器のメーカーの集まりというメンバー構成からかなり変化しており,MMAとAMEIの連携も変化している。

6.2.3 GM

 1990年代に入ると,CDプレーヤの普及に伴って,市場のCDにMIDIデータを入れたいというニーズが高まってきた。オーディオCDの場合は,どのCDプレーヤーで再生しても同じ音が出るが,MIDIの場合は,“何番の音色が何番の鍵盤でどれだけの強さで弾かれた”という情報が出るだけなので,音源の違いによってまったく異なる音色で演奏されてしまうことになる。そこで,音源の標準化が始まった。

 最初にアメリカの4社の共同によって,90年の始めにCD-MIDI用の音源の提案がMMAに出された。この提案のベースになっていたのが,ローランドのMT-32だった。

 1991年1月のNAMMショウでローランドは,SC-55という新しい音源を発表し,同時にGS standard(後のGSフォーマット)を提案した。同時に行われたMMAのミーティングでは,CD-MIDIをアップデートしたGM(General MIDI)という音源仕様が発表され,可決された。GMは結果的に,ローランドがGSとして提案したものとほぼ同一となった。これは,ローランドが規格の作成に働きかけたということではなく,ローランドがアメリカのソフト会社に事前に公開していたSC-55のプロトタイプの仕様を参考にして提案がなされたため結果的に,ほぼ同一の内容となったということである。

 このころから,MMAの中で,コンピュータ業界の力が大きくなっている。GMに関しても,MicrosoftがGMの支持を表明し,GMがまとまらなければ,Microsoftが独自の案を作るという立場をとった。これは,GMの決定に少なからず影響を与えた。

6.2.4 SMF

 SMF(Standard MIDI file)は,MIDIの情報の流れにタイムスタンプを入れたものであり,アメリカのOpcodeというソフトハウスが提案していたものが元になっている。MMAに提案された当初は,一社が提案しているローカルなフォーマットとして見られており,日本のシーケンサのメーカーはほとんどサポートしていなかった。しかし,アメリカではシーケンサのデータを交換するフォーマットとして注目されつつあった。ローランドは,1991年にSMFのサポートを戦略的に打ち出した。ハードウェアとソフトウェアも全てのシーケンサはSMFをサポートし,従来機種ですぐに対応できないものはコンバータを付けて,SMFのデータをインポートできるようにした。SMFの普及によって,MIDIデータの制作販売のビジネスが成り立つようになった。また家庭用電子ピアノもMIDIをサポートし,レッスン用のデータを配布するフォーマットとして,SMFが使われている。

6.3 MIDIの利用分野

6.3.1 プロフェッショナルユース

 MIDIは,最初は,プロフェッショナル・ミュージシャン向けとして登場した。現在では,CDの録音においても,シーケンサと電子楽器とMIDIが必要不可欠なものとなっている。MIDI自体は,非常に自由度の高いプロトコルであり,プロのミュージシャンは各々,独自に工夫した使い方をノウハウとして持っていることが多い。音源に関しては,大衆向けシステムのGMやGS音源をそのまま使う場合から,サンプラやシンセサイザを駆使して独自の音を作る場合まで,様々である。シーケンサとしては,当初ローランドのMC-500などが使われ,テンキーで打ち込みを行っていたが,最近では,ハイエンドユーザーはコンピュータを使ってMIDIをコントロールしている。ローランドは1983年に世界最初のコンピュータインタフェースとなるMPU-401を発売した。これは,コンピュータのMIDI APIのデファクトスタンダードとなっている。

6.3.2 DTM

 MIDIが登場した初期の頃は楽器のことを良く知っているユーザがコンピュータを使ってMIDIを利用するというパターンが多かった。しかし,コンピュータの普及によって,音楽に関わっていなかったユーザ層にも,コンピュータを使って音楽をやってみたいというニーズが出てきた。ローランドは1983年にこのニーズをサポートする「ミュージ君」というDTM(Desk Top Music)システムを発売した。MT-32という音源とシーケンスソフトを組み合わせたシステムである。マウスで音符を五線譜上に並べていくという簡単な操作で,音楽が作れるということから,非常に幅広い年齢層のユーザに広まった。

6.3.3 カラオケ

 業務用の通信カラオケには,高品質の音源,通信設備,曲データの三つの要素が必要である。特に,曲データは大量に必要であり,万単位で用意しなければならない。通信カラオケにMIDIが採用された理由の一つは,その曲データのサイズが小さいということである。MIDIデータを圧縮すると,一曲分を20〜30Kbyte程度にすることができる。CD-ROMなら一枚に一万曲以上記録することが可能である。通信カラオケは,SMFやGMなどのインフラが揃って初めて産業として成り立つようになった。曲データの制作費の相場は一曲20万円程度と言われており,実際に演奏者を揃えてスタジオを借りて作成する場合に比べて,低いコストで曲データを作成できる。音源は市販されているものと同じ物を使って曲データを作れるため,音源から作成する場合に比べて経済的である。また,曲データの作成にも通信を利用して,コストの低い場所を利用して,短時間に作成することができる。

6.3.4 電子ピアノ

 ローランドは,最初に電子ピアノにMIDIを付けて販売した。その目的は,MIDIを使ってピアノレッスンをすることだった。先生や自分の演奏をMIDIで記録するミュージックレコーダ機能と,記録したMIDIデータを再生するミュージックプレーヤ機能があった。現在の電子ピアノの市場の中で,20〜30%が,これらの機能を持つようになっている。また,最近の電子ピアノは,GSの音源やRS-232インタフェースが付いているものが多くなっている。コンピュータにつないでGS音源として利用したり,通信カラオケを楽しむこともできるようになっている。

6.4 まとめ

 MIDIの初期の段階では,規格に関する登場人物の役割は次のようになる。

 この段階では,電子楽器の開発者自身が規格作成に関わり,電子楽器業界の発展を考えて紳士的に規格作成が行われた。当時は,各社が独自路線を進んではうまくいかないという認識を持っていたことがMIDIの普及につながった。また,当時デファクトスタンダードとなる製品を持つメーカが存在せず,各メーカが統一規格の必要性を認識していた。そのなかで,NAMMショウというイベントを利用して社長レベルで規格の採用を合意しトップダウンの形で規格の作成が進んだこともMIDIの成立にとって重要なポイントである。このような,幸運ともいえる状況の中で,MIDIは成立し普及の段階へ進んでいった。

 MIDIは,その規格の普及にともない,応用分野が広がっていったという特徴がある。GMやSMFはその具体例である。MIDI準拠の製品の普及によって,MIDI楽器のリアルタイム接続だけでなく,そのデータを交換したいというニーズが出てくる。そのニーズを利用して,MIDIのデータそのものがビジネスの対象となった。GMによって,MIDIデータをCDに記録して販売するというビジネスが成り立つようになった。GMの作成は,電子楽器のハードウェアメーカよりも,MIDI準拠の電子楽器をインフラとして利用するソフトウェアメーカの主導で行われた。

 通信カラオケでは,MIDIデータの圧縮効率が優れていること,及びGM音源などのインフラを利用して経済的に曲データが作成できることが普及のポイントとなった。電子ピアノにおいては,MIDI機能を付加することによって電子ピアノの利用法に加えて,新たな利用形態を実現した。

 このようにMIDIは,様々な応用分野で利用されるようになったが,その基本部分はバージョン1から全く変わっていない。これまで,一部のメーカがMIDIを2倍速や4倍速にすることを試みたが,他メーカの賛同を得られずに普及しなかった。パソコンの普及によって,RS232-CのケーブルやMini-DINのコネクタを使うなど当初の規格から変化している部分もあるが,ハイエンド機から普及機まで全ての機種が相互接続可能であるという原則が守られている。

(c)1996 JEIDA