日立製作所の小池建夫氏から,ISO 10646成立の経緯をうかがった。
小池氏からのヒアリングでの登場人物は,ほとんどが,「規格を作る人」ということになる。「規格を作る人」同士の様々な対立構図が浮き彫りにされたのが,この回のヒアリングの特徴といえよう。特に,「規格を作る人」の中で,「規格を使う人」=「製品を作る人」の立場が鮮明に現れたことは,特筆に値する。
以下,小池氏の話に従い,歴史的経緯,様々な対立構図,民間企業における標準化活動への関与,の3点にまとめて紹介する。
情報規格の世界では,従来からISO 646と呼ばれる7ビットの規格が広く用いられてきた。これは,7ビットということからも推察できるように,ASCIIコードを元にしたもので,英語アルファベットの範囲しか表現能力がない。
これに対して,非英語ラテンアルファベット圏(アクセント記号付きのラテンアルファベットを用いる言語圏)からの要求が強くなり,ECMA/TC1が中心となって,8ビットを前提としたヨーロッパの地域コード,ISO 8859が策定された。
この規格は,7ビットまでは,従来のISO 646とのコンパチビリティーを確保しながら,8ビット目を用いて,ヨーロッパのそれぞれの国,地域の文字をコードかしたものである。当然,アクセント付きアルファベットをすべて8ビットに封じ込めることは不可能なので,表(コードページ)を切り替えながら使うこととなっていた。このコードページ切り替えの不便さに起因するラテンアルファベット圏からのニーズが,ISO 10646の起源の一つとなっている。
文字符号を担当していたISO/IEC JTC1/SC2では,当初,以下のような考えで規格策定を検討していた。8ビット2バイトの中に,従来ISOが2バイトでやっていた集合が四つ入る。その一つを,非漢字の文字に用い,残りの三つを,日本,中国,韓国のそれぞれの既存のコード系で分け合う。このようなアーキテクチャーを取ると,それぞれの既存のコードとのコンパチビリティーを保ちながら,多言語化が可能になる。ISOの規格は,過去とのコンパチビリティーを重視した規格といえよう。
このような検討を行っていたときに出てきたのがUnified Hanである。
2.2.3 Unified Han(UnicodeとACCCの動き)
アメリカ西海岸に基盤を置く民間企業の連合体である,Unicode Consortiumは,1989年にUnicodeの最初のドラフトを公開した。
一方,中国はACCCという組織を1988年に作り,中文内部号碼(中国語の内部コード)の研究をスタートさせた。この組織は,中国政府の管轄の元で,資金はメーカーが出し合うというものだった。ACCCは,標準にするため,Unicode Consortiumにこの成果を渡した。こうして,いわゆる統合型漢字集合が世に出ることになった。
2.2.4 SC2とUnicode Consortiumのせめぎ合い
1989年秋,アンマンでのSC2/WG2の会議で,Unicode Consortiumから正式に規格提案がなされた。コンピューターに関し,世界中で圧倒的な影響力を持つアメリカの企業群を背景とした提案を,ISOとしても無視することはできず,その当否を巡り真正面から議論することとなった。
1991年春,ISO内部で進めていた規格案が,「同様な符号系が複数存在することは不可」との理由から僅差で否決されるに及び,Unicodeの扱いは焦眉の急となった。
こうして,1991年秋,レンヌでのSC2総会において,それまでの規格案からUnicodeと統合した形での規格案への移行が決議され,ISO 10646は,その性格を大きく変えることとなる。日本は,この流れに一貫して反対しており,特に,この規格第1案から規格第2案への移行には,手続き上大きな問題があるということを,反対の主たる論拠として主張した。
従来のISO規格第1案が否決されることのより,Unicodeとのマージが不可欠となった。さまざまなレベルで,マージ作業が行われたが,多くはUnicodeの規格を取り入れる形で改変が行われた。
漢字の扱いに関しては,ISO案とUnicode案のマージが可能かの検討をボランタリーな集まりで検討することとなった。これが,いわゆるCJK-JRG(China Japan Korea Joint Research Group)である。1991年7月に東京で第1回の会合が持たれた。参加したのは,日本,中国,韓国,アメリカ,台湾,香港,ユニコードという,七つの国と地域と団体。12月までに何らかの成案を出さなければ,Unicode案がそのまま入れられてしまうという状況にあり,中国が出してきたACCCの成果物をベースに作業が進められることとなった。
統合化に当たっては,日本の提案により,まず,ルールを作り,そのルールに基づいて作業を進める方式がとられた。このルール作りをしたのが,ほかならぬ小池氏自身である。
統合化に当たっては,参加者の立場の相違から,各国の規格に含まれる文字をすべて温存することとなったり,統合化の可能性を検討するはずが,結果的には統合化が既定事実となって,実作業に係わったりと,さまざまなレベルで問題点を後に残すこととなった。
1993年5月,ISO 10646-1は,成立した。日本は,先に挙げた規格第2案への移行に手続き上の問題があるという点を論拠に,反対に一票を投じた。
以上,歴史的経緯に沿って,ISO 10646の成立の過程を見てきたが,本節では,登場人物という視点で,ISO 10646の成立に係わった人々の関係を見ていく。
何よりも従来公的な国際規格を担ってきたISOと民間企業の集合体であるUnicode Consortiumが主な登場人物ということになる。これを総論の議論に従って図式的に表現すると,
ということになる。しかし,実際には,ISOに参画している各国の代表団の構成メンバーを検討してみると,国によって,メンバー構成は,かなり異なってくる。
ISOの構成メンバー,Unicode Consortiumを含め,登場人物を国と地域によって分類することが可能である。
ISO 10646に関しては,ヨーロッパの中での対立構図は見えてこない。ISOそのものの運動が,ヨーロッパで比較的盛んな点,ヨーロッパ統合を目指して利害が一致しておりECMAという求心力があった点などから,一枚岩という印象を受ける。また,現状では,ヨーロッパでISOの活動に参加している人々は,比較的中立的な「規格を作る人」との印象が強い。
ISOの場での議論,決議となると,Unicode Consortiumは,あくまでも投票権を持たないリエイゾンメンバーである。Unicodeといった場合,ナショナルボディとしては,主としてアメリカ,カナダということになる。この構成メンバーは,Unicodeとして見ても,ISO対応の代表団として見ても,まさに,民間企業のエンジニアが圧倒的多数を占めており,「規格を作る人」即「規格を使う人」であり「規格を使ってものを作る人」という関係になっている。
アジアの国々,地域は,それぞれの国情を受けて,さまざまな立場が入り乱れている。
日本からの,ISOの代表団は,大学関係者を中心とする学識経験者と民間企業のエンジニアとの混成部隊である。民間企業からの委員は,アメリカなどの比較すると,出身母体である企業の利害を直接主張することは,それほど多くはないように思われる。すなわち「ものを作る人」という立場をそれほど強固に押し出しているわけではない。学識経験者については,「規格を作る人」に徹した立場もしくは,「規格を使う人」+「ものを使う人」という立場が多いようである。また,日本の代表団の一員として,欧米に基盤を置く企業の日本法人の社員が参加している場合があることも,留意すべきであろう。
中国からの代表団は,国情もあって公務員ということになる。明らかに「規格を作る人」という立場が強い。
韓国の代表団は,比較的日本に近い。しかし,発言に関しては,会議の場で即断即決するというより,国に帰って組織としての判断を仰ぐという傾向がある。「規格を作る人」の立場が強い。
台湾,香港,ベトナムに関しては,それぞれ立場が異なるとはいえ,何らかの意味で中国の影響を大きい。台湾は,国としての参加は認めておらず,TCAという団体名で参加している。香港は,中国返還を前にして,独自の意見表明をすることはまれで,2票目の中国といったところである。ベトナムは,漢字使用が歴史的な文献に限られていることもあり,何らかの形でベトナム独自の文字が表現できればよいという立場で,あまり自己主張をしない。
シンガポールは,英語,マレー語を含む多言語国家の中の漢字ということで,やはり一部の独自の漢字の登録が出来ればよいという立場を取っている。いずれにせよ,上記の国や地域,団体は,学術関係者が多く,「規格を作る人」に偏っている。
このように見てくると,アメリカ・カナダが「規格を使う人」という立場をもっとも明確に持っており,可能性として日本がそれに次ぐ,と思われる。また,全体的に弱いと思われるのは,「規格を担ぐ人」「ものを使う人」という立場から規格を見ていく視点であると思われる。
本章は,主として「規格を作る人」に焦点を当てて考察を進めてきたが,「規格を使う人」という観点から,今後のUCS,Unicodeの使われ方の広がりについて,簡単に触れておく。
Unicodeは,マイクロソフト社が,Windows NTに採用したことにより,最初の実用的な実装例を得たが,インターネットの爆発的な普及により,その普及は加速度的に進む様相を見せている。
具体的には,JAVA,HTML3.2などが,UCS,Unicodeのサポートを明確に記述しており,UCS,Unicode対応のサーバー,ブラウザーなどの実装例も現れ始めている。
作るものの違いによって,規格に対するスタンスが変化する場合がある。
ISO 10646およびUnicodeに即して考えると,
といったように,規格に対する考え方が異なっている。
国と地域の項でも述べたが,現在,情報関係の国際規格を「作る人」は,おおむね大学関係者等の学識経験者と民間企業から派遣された人に大別される。いずれも,基本的にはボランティア的に係わっており,出身母体としての企業も,直接的に自社の利益を代弁することは求めていない。しかし,標準規格への関与が,出身母体企業の内部で,企業の社会的貢献として正当に評価されているかどうかは,いささか疑問が残る。さらに,国際の場で,主査やエディターなど,国の利害を超えたところで寄与することが求められた場合,立場によっては,日本の利益に反する行為をする必要も生じてくる。そのような立場に立った人を,受け入れ支えていくというコンセンサスがないと,標準規格に係わる人がいなくなってしまう危惧がある。
企業としての(時に国を越えた全地球的レベルでの)社会的貢献の一つとして,今後も会員各社が標準規格制定に係わる人々をサポートしていくことが望まれる。